石垣勇輔のブログ

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石垣勇輔 石垣の雑学

おはようございます。石垣勇輔です。初めてブログをやります。よろしくお願いします。名字の石垣に因んで城にある石垣の歴史です。

飛鳥時代の末期、7世紀後半に百済から伝えられた平らな石を垂直に積み上げたのが始まりとされ、13世紀末には元寇に備えて石造の堤防が築かれたといわれていますが、近世(桃山・江戸時代)の城の石垣とは大きく異なるもののようです。

中世(鎌倉・室町時代)の城にもまだ石垣はほとんどなく、土を高く盛り上げた土塁で城をかためていました。土塁はもともと土砂を積み上げたもので雨水などに弱く、戦乱が激しくなり土塁の強化のため土塁の表面に石を張り付ける張石(はりいし)や、石を粘土で接着し積み上げていく練積(ねりづみ)などが行われましたが上手くいかず普及はしなかったようです。練積では内部に水がたまり壊れやすい欠点があり、16世紀後半になって粘土を使わず、石だけで積み上げていく空積(からづみ)が出現し、これが城郭の石垣に発展していきます。
で、ふと「石垣と石を積んだもの違いは何?」とちょっと気になりましが、その答えが『 戦国の城 』にありました。
では、石積と石垣はどこで線引きされるのだろうか。私は、石垣の場合は、裏込石、すなわち栗石が使われているのに対し、石積はただ石を積みあげただけで、そのちがいを指標にしていたが、中井均氏によると、素人でも積めるのが石積で、石垣ともなると専門の石工、すなわちプロでなければ積めないので、そこで区別するという。たしかに、石垣の場合は「石垣を積む」とはいわず、「石垣」を築くといっているので、その可能性はある。
とありました。
そして、やっぱりというか本格的な石垣の城は 安土城 のようですが、戦国時代後半になるとそれに先駆けて石垣を使った城も出現したきました。よく例示されるのが信長が参考にしたであろうといわれる戦国大名六角氏の 観音寺城 です。観音寺城は寺院の造営技術を導入したものといわれ、金剛輪寺に残された古文書に天文5年(1536年)に「御屋形様の石垣」、つまり守護の城の石垣普請について寺側と守護側が打ち合わせを行ったことが記されているそうです。ちなみに安土城観音寺城は地図上の測定では直線距離で2.4kmほどです。やはり石垣は戦国時代です。